こんにちは。小野です。
先週の土曜日(1/25)、「にっぽん多文化共生発信プロジェクト」の成果発表会に参加してきました。
このプロジェクトは、カシオ計算機と武蔵野美術大学の産学連携で2017年度にスタートし、今年で8年目となるプロジェクトです。
多文化共生に取り組む、または多文化共生を体現する様々な団体や個人を武蔵野美術大学の学生さんたち(日本人学生と留学生の混成チーム)が取材し、そこから得た気づきをもとに再構成してドキュメンタリー映像やプレゼンテーションの形で一つの「作品」に仕上げます。
その「作品」を、年に1度、成果発表会として一般に公開してきました。
2018年に、このプロジェクトの取材対象としてASIA Linkを選んでいただき、取材を受けたことがご縁で、私もこの成果発表会を毎年楽しみにしてきました。
★2018年度のプロジェクトで作成されたASIA Linkのドキュメンタリームービーはこちら→ 「アジアをつなげる」https://web.casio.jp/mau/mov01.html
★過去のプロジェクトの一覧はこちらから見られます
→ https://www.casio.co.jp/mau/
このプロジェクトは、最初の何年間かは外国人留学生や日本に住む外国人をテーマの中心に据えて多文化共生を考える作品が作られていましたが、ここ数年は「多文化」の概念をより広く設定し、アートの力で様々な価値観を包括(インクルーシブ)する取り組みへのフォーカスや、障害者、子ども、地域の居場所といった多様性への視点を持つ作品が生み出されてきました。
また、ここ数年は作品発表のあとにグループに分かれて対話の時間が設けられ、この対話から新たな気づきが生まれたり、内省が深まったりする貴重な場になっていました。
8回目となる今年の成果発表会は、この産学連携プロジェクトが一旦区切りを迎えるとのことで、最終回とのこと。
何事にも最終回はありますが、やはり少し寂しさも感じながら、会場へ足を運びました。
今回の作品は、「共生」をテーマに、3つのグループによる発表が行われました。
どの作品も秀逸でした。
取材対象者が非常に魅力的で、そして取材を通じて引き出された学生さんたちの気づきがとても深いと感じました。
ウクライナ避難民支援食堂の運営から見えてきた葛藤、多様なジェンダーの視座から見た家族の在り方、そして児童養護施設で親がわりとなって子どもたちを育てる職員さんたちのチーム作り。
その後グループに分かれての対話では、「共生」の難しさを自身の体験から話し合い、どう乗り越えていけばいいのか、その簡単には答えの出ない問いについて、今回のイベントのタイトルにあるとおり「ひとつのテーブルの上で」語り合いました。
この対話に参加しながら、私の頭の中でぐるぐる回っていたのは、「あなたにとって多文化共生とは?」という問いでした。
この問いは、2018年にASIA Linkを取材していただいた際、インタビューアーの武蔵野美術大学の留学生から投げかけられた問いです。
このときの私は、自分自身でしっくりくる答えを出すことができませんでした。
当時のインタビュー映像を見ると、私は以下のように答えていますが、答えながら「きれいごと言ってるな」と自分の言葉につっこみを入れている自分がいたのを覚えています。
「これもいいよね」と思える社会に。「なになにすべき」というのが減っていく社会に。これが多文化共生かなと思う。多文化共生のために決まり事を増やすのではなく、多文化共生のために決まり事を減らす、みたいな。
しっくりこなかったのは、私の中で「多文化共生」に対する違和感があったからです。その違和感は、マジョリティ側である日本人が、マイノリティである在日外国人に対して「私たちの文化に迎え入れますよ。私たちは寛容ですよ。多文化共生ですよ。」と言いながら、実際には寛容ではないという現実を見てきたから生まれた違和感だったのだと思います。
今回のイベントでの対話に参加しながら、私が6年前のインタビューのときと同じように「あたなにとって多文化共生とは?」と問われたら、私はなんと答えるだろう?と考えていました。
そしていまの私なら、
他者の幸せを願うこと。
と答えるのではないか、と思いました。
いま、世界を見渡したとき、「他者の幸せを願うこと。」がどんなに難しいことであるか、そしてこれができたらどんなにいいか、考えずにはいられません。
これまで多くの気づきをくれたこのプロジェクトに感謝しつつ、これからも共生について考え続けていきたいと思った一日でした。