こんにちは。ASIA Linkの小野です。
ASIA Linkは、日本のメーカーと外国人留学生をつなぐ人材紹介会社です。
なぜメーカーなのか?
その原点ともいえる出会いについて、今日は書きたいと思います。
2011年10月、私は外国人留学生と日本の企業をつなぐ人材紹介会社を一人で始めました。
もともと日本語教師として、様々な国から来た留学生に日本語を教えていた私は、多様な価値観を包み込む多国籍な教室で、日々新しい風を感じていました。
日本社会もこんなふうに自由になれたら、新しい何かが起こるかもしれない。
卒業したあとで日本に残って働きたい留学生が増えたら、日本のカイシャはもっとおもしろくなって、日本社会ももっとおもしろくなるかもしれない。
留学生が日本で活躍していく姿も見たい。
そうだ、留学生と日本企業をつなげる仕事をしよう。
しかし、起業したものの、どうやって紹介先の企業を探せばいいのかわかりませんでした。
留学生を採用したい企業があるのか、それはどんな会社なのか、どうやったらそういう会社に出会えるのかもわかりませんでした。
企業が集まるところに行けばいいんだ、と考えた私は、東京ビッグサイトで行われていたメーカーの展示会に出かけました。
きっと社長さんなら、留学生についてどう思っているか話してくれるのではないか?
まずは社長さんに話を聞いてみたい!
東京ビッグサイトに着いた私は、展示会のブースを回りながら、「社長さんいらっしゃいますか?お話をお聞きしたいんです。」と声をかけました。
なかなか社長さんに会えないまま、1時間くらいブースを回り続けていた頃でしょうか。
金属製の太いパイプが展示してあるブースが目にとまりました。
パイプには穴がたくさんあいています。
そして、穴をあける巨大な機械もあります。
なんだろう?なんで穴があいているの?どうやって穴をあけているんだろう?
私がまじまじとパイプと機械を見ていると、外国人社員さんと思われる方がニコニコしながら近づいてきました。
外国人社員さんを雇用している会社さんだ!
その方は、スーダン出身のイブラヒムさんという社員さんでした。
楽しそうに機械の説明をしてくださり、電気回路も見せてくれました。
こんな魅力的な社員さんがいるなら、きっと社長さんも魅力的なはず!
「社長さんにお会いしたい」
と伝えたところ、
「個性的な社長ですよ」と。
ますますお会いしたくなり、会社をご訪問することになったのでした。
そのパイプ加工メーカー「荒木技研工業株式会社」さんは、横浜市青葉区ののどかな田園風景の中にありました。
畑や柿の木がある、なんとなく懐かしい風景
2011年11月4日にご訪問し、社長(当時)の荒木勝輝さんに、1時間ほどお話を伺いました。
この日の出来事は、人材会社を起業してまだ25日目、どうやって一歩目を踏み出せばいいかわからなかった私が、「人を雇用するとはどういうことか」「働くとはどういうことか」について非常に重要な気づきをいただいた出来事でした。
そして、中小メーカーの社長さんがどんなことを考え、どんな想いで働いているのか、そこに初めて触れることができた出来事でもありました。
この取材の内容は写真付きの記事にして、企業さんのご了解を得た上で、弊社のWEBサイトに2011年11月~2018年6月まで掲載していました。
2018年7月にWEBサイトをリニューアルした際に、この取材記事のページはなくなってしまったのですが、今日は以下にこの記事を再現したいと思います。
――産業交流展で金属パイプに穴が空いているのを見ました。あれは何ですか?
一本のパイプから、別のパイプへ枝分かれしていく部分、つまり分岐の穴です。私たちは、パイプの分岐加工を30年間研究してきました。いろいろな種類の金属、厚み、パイプの太さなど、分岐の技術はとても奥が深いのです。
これまでの経験をもとに、新しい装置の製造・販売も行っていく予定です。アジア諸国に輸出したいし、ノウハウも広めていきたいです。
――パイプの分岐技術は、たとえばどんな所で使われているのか、わかりやすく教えてください。
たとえば、人間の体の中では、動脈・静脈・毛細血管が枝分かれしています。ビルを人の体に例えると、壁や天井の見えないところには、空調や水道などの様々な配管が、血管のように張り巡らされているのです。
血管と同じように、金属の配管にも分岐がたくさんあるのです。
――会社を始めたときのお話を聞かせてください。
38年前、28歳のときに、妻と二人で始めました。子どものころから、もの作りが大好きでした。
当時の建築ラッシュに合わせ、最初は建築関係の仕事をしていました。その後友人の紹介で、大手企業からの注文が来るようになり、会社が発展していきました。
手先が器用で、工夫する力もあったので、そこに魅力を感じてくれたのだと思います。
どこにもない機械を、自分で一から作る仕事が多かったです。
――大変なときは、どのように乗り越えてきましたか。
あわてないで、じっとがまんします。冒険しないことです。出費を抑え、冬を耐えながら、春が来るのを待ちます。現在は、今後10年間の安定した注文が見込まれる取引があるので、新たなチャレンジを考えられる環境になっています。
――イブラヒムさんとの出会いは?
イブラヒムさんはエジプト大学卒業後、18年前に日本へ来ていくつかの会社を経験しました。荒木技研工業へ来てもらったのは、2年半前です。うちにはもう一人レヒマンさん(パキスタン出身)という外国人社員がいて、イブラヒムさんと知り合いだったのです。レヒマンさんが来たときは、イスラム教徒なので、ラマダン(断食)や礼拝のことなどがわからなくて不安もありましたが、お互いを理解し、尊重しながらやってきました。二人とも毎朝ニコニコと出社してくれるのがとても嬉しいです。

荒木社長(当時)とイブラヒムさん
――荒木さんにとって、社長の仕事とは何ですか。
社員が楽しく働き、安定・安心して暮らせるようにすることです。
社員はみんな子どものような存在。私には、「いつまでもボクがいるわけじゃないよ」と、親が子を突き放す役目もあります。「甘えてはだめ。自分たちで食べていけるように。」
愛があって、心がこもっていないと通じません。
――これから社会に出る学生へ、メッセージをお願いします。
糧は自分の手を得るもので、与えられるものではありません。誠心誠意、ベストをつくせる人間として、プロの道でがんばってほしい。
自分にウソをつかない。人にウソをつかない。
できないことは、できない、でいい。明日にはできるようになろう、という向上心が大切です。
帰りに工場をのぞくと、レヒマンさんの姿が。
ニコニコと本当に幸せそうにパイプを磨いています。
どうしてこんな笑顔で働けるんだろう。
「やりがいのある仕事」とか、「自分を生かせる仕事」とか言うけれど、「働く」という原点について、考えさせられた瞬間でした。
涙が出そうでした。

レヒマンさん
■荒木技研工業株式会社
https://www.arakigiken.co.jp/
(以上、記事の再現終わり)
レヒマンさんの姿は、今でも私の脳裏にはっきりと残っていて、私を初心に戻してくれる大切な存在です。
まるで赤ちゃんの沐浴をするような、本当に優しい手つきでパイプを磨いていたレヒマンさん。
こんなに幸せそうな表情で働く人を、私はこれまでに見たことがないと、その時思いました。
働くってなんだろう。
仕事ってなんだろう。
外国人留学生とメーカーをつなぐ人材会社として、14年目を迎えました。
やはり私の原点はあの日だったのだと、今改めて思います。
日本の中小メーカーは、本当におもしろいです。
魅力的な社長さんもたくさんいます。
留学生といっしょに、中小メーカーをもっとおもしろくしたい。世界企業にしたい。
これからも、中小メーカーさんとの出会いを楽しみながら、仕事をしていきたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。