入管法改正案の動きについて考える

こんにちは。ASIA Linkの小野です。
ここ連日のように報道されいている、入管法の改正案について、複雑な苦しい思いでニュースを見ています。

日本の難民認定のあり方については、「認定数が少なすぎる」という表面的な数字だけで論じることはできないことは、私も実感としてわかります。

実際に、2018年1月の制度改正までは、難民申請中はアルバイトができるという制度がありました。そのため、学校卒業間近になっても就職先が見つからない一部の留学生の中には、日本でのアルバイトを続けるために安易に難民申請をするという動きもみられました。
私も実際に、数か月かけて正社員としての就職サポートを行っていた留学生から、「難民申請してバイトをするので、もう就職サポートは必要ありません」と言われ、ショックを受けた苦い経験があります。
(ただ、2018年1月の制度改正により、難民申請中のアルバイト(就労)が禁止となってからは、上記のような留学生には一度も会ったことがありません。)

 

私が、今回の入管法の改正案の動きに苦しさを感じるのは、難民認定の数や、不法在留者とされる方々への対応や、収容施設の環境という個々の問題以前に、その大前提となる「日本の外国人に対する姿勢」そのものです。
外国人を「下」に見る日本の姿勢、そこに人権意識の低さも加わって、入管が外国人の人権も尊重するという前提に立脚して権力を行使しているのだろうか、と懸念を抱いてしまうのです。

今回の入管法改正案と、スリランカ人女性の死は別問題だ、という意見もありますが、私はそうは思いません。
制度や法律を、一定の権力を持って行使する側は、高い人権意識が求められます。
そこを国民が納得できる形でしっかり示すことができ、国民に信頼されてこそ、権力の行使が許されるのです。

実際に、今回の入管法完成案に主体的に関わり、その後の日々の業務執行を行っていく、法務省や入管で働く方々は、個人の気持ちとして外国人の方々にどのような思い・考えを持っているのだろうか。
出入国を「管理・取り締まる」立場として、その立ち位置や仕事の大変さは私も少しは理解しているつもりです。
昨年からのコロナ禍で、日本に滞在する外国人に対して在留資格延長などの複数の救済策が敏速に作られ、施行されてきたことも知っています。

ただ、どうしても考えてしまいます。
法務省や入管で働く方々には、日本に住む外国人の友人がいるのかしら。

 

こういうことを考えてしまうのは、5~6年前に出会った元入管職員さんから聞いた言葉の衝撃が、今でも忘れられないからでもあります。

あるメーカーさんが、外国人社員の採用に興味があるとのことで、ご訪問したことがありました。その際、もう1社の人材関連会社さんも同行することになりました。その一行の中に、元入管職員の社員さんがいました。在留資格変更の入管手続き等にくわしいとのことで、同行していたのだと思います。長年入管で勤めあげたベテランの方でした。
メーカーさんとの商談の中で、技能実習生の話題も出ました。
その時、元入管職員の方が、技能実習生のことを「やつら」と言ったのです。
親しみをこめた「やつら」ではなく、明らかに差別的な意味合いを持つ「やつら」でした。
私はその言葉に凍り付きました。
その場でその人に反論しなかったことが後から悔やまれましたが、その時は何よりも長年入管で働いていた人から出た言葉であったことが衝撃でした。

入管で日々外国人の方々に関わる業務を行っている職員さんが、こういう目線で外国人を見ているのか、と。

この方だけが例外であったと思いたいです。
でも、こういう意識の方が、問題なく入管で長年働いて定年を迎えたわけですから、そういう価値観も認められてしまう組織なのではないか、と思ってしまうのです。

 

「入管法改正案は原案のまま来週採決へ」
昨日の新聞の見出しにありました。
日本は、外国人差別や人権意識の低さという課題をまだ抱えている。
その事実を認めた上で、制度や法律のゆがみを直していかなければならないと思います。

国内で一人でも多くの人がこの問題に関心を持ち、議論が高まることを願います。